じゃん?
まこるごです。
記事タイトルは、YOASOBIの楽曲「UNDEAD」の歌詞から思うことがあり決めました。
不幸に甘んじて
満足するなよ
幸せになろうとしないなんて卑怯だ
歌詞を一部抜粋。
あなたはこの歌詞を見て思うことはありませんか?
「幸せになろうとするのもしないのも勝手だろ」と思うでしょうか?
「不幸で苦しくても幸せを求めろってこと?」とも思うかもしれせん。
私は、「見方よれば卑怯者になるな」と感じました。
普段、あまり楽曲の歌詞について考えることって少なくて、ノリいいなとか、リズムいいなとか浅い考えしか持たない私が珍しく笑
どういうことかと言えば、
幸せになることを諦める、これはどうぞご自由にご勝手に。なんですが、幸せになることを諦める、幸せになろうとしないことを決めた人間のその先。
果たして「幸せな人」や「幸せになろうとしている人」を目の前にして正気でいられるでしょうか。
せっかく「幸せにならない」ことを選択したのに、幸せな人を目にしたら。
例えるのであれば、ダイエットのためにラーメンを我慢してるのに、好き放題ラーメンを食べる人を見た時(例え下手か)
私だったら、正気じゃいられません。もしかしたら私はこんなに不幸なのに!と言って攻撃してしまうかもしれない。
とまあ、言いたいことは、何かを諦めたら、その諦めたものを持っている人をものすごく羨ましいと思うし、なんなら攻撃しちゃう可能性があるってこと。
これ、結構心当たりがある人いるんじゃないでしょうか?
私は夫婦で外出中、よく攻撃を受けるのでたぶん幸せを諦めた人からなんじゃないかなーと笑
例えば、道を歩いている時に自転車に乗ったおばさんから「道の真ん中歩いてんじゃねーよ!」と怒鳴られたり(ちゃんと道の端っこを歩いてました)、
新婚旅行中、妻が、カップルに服装について悪口を言われたり。←後から妻から聞かされてはらわたが煮えに煮えた怒ゆるさねえ
その時は「なんだこいつイラつくな!!!!怒」としか思えなかったんです。
が、だんだん私も大人になり、ちょっっっとだけ俯瞰して見れるようになりました。
きっとあの人たちは「幸せを諦めた人たち」だったのかも、と。
チャリカスおばさん(笑)は、素敵なパートナーに出会うことを諦めた人だったのかもだし、
あのカップルは、わざわざ人の悪口を言うくらい会話が続かなかった、楽しい会話を諦めた人だったのかも。
共通して言えるのは、「幸せになろうとしない卑怯者」だってこと。
幸せな私たちをわざわざ攻撃して、幸せを諦めた人たちの土俵に引き込もうとしていると言えそう。
今度そんな卑怯者に出会った時、「ああ、この人は幸せになることを諦めた可哀想な人なんだな」と慈悲深い心で対処すればいい。どうです?
不幸って伝染するし、負のオーラに触れると具合悪くなりますからね笑
大切にしていきましょう、自分。
終わり!


