まこるごです。
学校で辛い思いをしてる学生さん。
この記事は、学校に行きたくないって思っているあなたに書きます。
わたしも学校、苦手でした。というか嫌いな部類でした。
登校拒否するまではいかなかったけど、
部活内でいじめを受けていた時期もありました。
辛かった。だけど当時からメンタルだけは強くて、休んだら負けだと思って学校に行きました。
もしかしたら、あなたもそんな辛い思いをしているかもしれないね。
真似しないで逃げてもいいよ。
そのほかにも苦手のオンパレードでした。
集団生活が苦手でした。給食の時、机を向かい合わせにして食べるのが苦手でした。
休み時間が苦手でした。係の集まりが苦手でした。
ただの普通の雑談が苦手でした。
クラスの一軍がギャーギャー騒いで休み時間を過ごす間、
わたしの居場所は教室になくて、いつも図書室で本を読んでました。
それでも居心地が悪かったときもあって、
そんな時は非常階段で本を読んでた時期もあります。
社会人になった今も、どうしても人が苦手で、集団行動が苦手で。
仲良くなれる人なんてほとんどいなかった。
けれど、幸いにも大切な人ができて一緒になることができた。
一生一人で生きていくんだろうな、って思って生きてきたわたしが。
もしあの頃の自分に一言だけいえるとしたら。
「学校なんて、行かなくても意外になんとかなるよ」
そう言ってあげたいし、
今、辛いと感じているあなたにも言ってあげたい。
少しでも気持ちが楽になることを願って書きます。
学校というシステムに合わないひとがいるのは当然のこと
そもそも学校ってシステムが、場所が、おかしくないですか?
たまたま同じ地域に住んでて、たまたま同じ年齢で、それだけの理由で集められたってだけ。
当然、性格も違えば体格も違う。
好きな物も嫌いな物も、育ってきた環境も、兄弟の数だって違う。
何もかも違う人間が、狭い教室に集められて
「はい、勉強しましょう」
「はい、みなさん仲良くしましょう」
「はい、先生の言うこと聞きましょう」
ってかなり無理ゲーな話で。
意味わからんし、何で勉強しなきゃいけないの?ってずっと思ってました。
だから、なんか合わないなあ、みんなと考えていることや思っていることが違うなあと
感じていても心配しなくていい。
誰一人同じ人間なんているわけないんだから。
知ってるかな。
YouTubeで、せやがろいおじさんっているんだけど。
同じようなことを言ってて、
とりあえず100人分のSサイズのTシャツ用意したから、みんなコレ着て。
ってなったときに、当然サイズぴったりの人もいれば、ピチピチすぎて嫌や脱ぎたいって人もいるやん。
だけどその脱ぎたいって人のことは理解できるでしょ?
そりゃサイズ合わない人もいるよね、Sサイズだしってなる。
これが、なんで学校では通用しないんだろう。
みんなと同じことをやりなさい、ってなるんだろう。
加害者が守られる世界線って何なん?
良くも悪くも事なかれ主義で平和ボケが進んだ日本では、
何か少しでも人と違うことをやったり言ったりすると石を投げられる。
自分が理解できないものに対して「よくわからないから」って理由だけで
批判してあいつは何を言ってるんだ、俺が正義だって言ってくる。
これは子供の世界に限らず大人の世界でもあるし、
むしろ大人のほうが傾向が強いかもしれない。
何がジェンダーレスだ。その前にやることがあるだろ。
冒頭でも触れたけど、人と違っていたわたしは中学でいじめを受けた経験がある。
運動が苦手だったけどテニス部に入ってたわたしは、あまり上手くなれなくて
それが理由で。
暴力は受けていないけど、陰でヒソヒソ悪口言われた言われた。
今でも恨みに思ってるぞ蠍座の怨念なめんな?
でさ、直接本人に言えないわけで臆病者のくそ野郎なわけですよ。
変わっているから、運動が苦手だから、勉強が苦手だから、口下手だから、
そんな理由でいじめていい理由になんてならない。
いじめられる方にも理由があるなんて加害者の糞持論な訳で。
胸糞なのがいじめで命を絶ったという痛ましいニュースで、なぜかいじめを受けていた側の
「顔」と「名前」が報道される糞世界線。
ふざけんな!!!なんで加害者の顔と名前は報道されない?
自さつまで追い込んでるんだから殺人だろ!
コミュニティはひとつだけじゃない
自分の話ばかりしてごめんなさい。
ともかく一つ言えることは、コミュニティはひとつだけじゃないってこと。
わたしたちは、学校というコミュニティが強過ぎて、
「もうここ(学校)がなくなったら居場所がなくなるんじゃないか」
「私はみんなと同じことができないダメなやつだ」
「クラスの全員いなくなればいいのに」
今あなたはこんなことを思っているかもしれない。
もしかしたら、これ以上に自分を責めて、他人を責めているのかもしれない。
でもそれって本来おかくない?
もう無理って思っているのに、なんで行かなくちゃならないんだろう。
なんで自分じゃなくて他人を優先して、周りに合わせて、みんなに合わせて、親に合わせなくちゃいけないんだろう。
でも、安心してほしい。
学校に居場所がなくても、あなたと同じ考えの仲間やコミュニティは絶対にある。
たまたま学校というコミュニティになかっただけ。
もしかしたらフリースクールに居場所があるかもしれないし、
あなたの好きなことや興味があるところに居場所があるかもしれない。
インターネットの広い海のなかにあるかもしれない。
少なくとも、この記事を書いているまこるごはあなたの考えと一緒だ。
中には「コミュニティが見つからなかったらどうしよう」と不安に思う人もいるかもしれない。
誰とも気が合わず、ひとりぼっちになってしまったら・・・
心配しないでほしい。
わたしは、長年コミュニティが見つからなかった人間だ。
集団の中にいると、余計孤独に感じて、自分と周りのギャップに疲弊していた。
だから大人になった今でも友達という友達は一人もいないし、
参加できるコミュニティにも入っていない。
その代わり、自分がしたいと思ったことは結構やってきた自負がある。
読みたい本は読んできたし、
やりたいこと例えばパラグライダーやスノーボード、一人海外旅行もしてきた。
他人に使っていた時間を自分のやりたいこと、自分を研磨する時間として使ってきた。
案外、一人で行動している人は多いもので、
偏見だが集団でいる人間よりもかっこよく、何か意思みたいなものを感じることも多い。
きっと、「何が自分にとって大切なのか」を理解し、行動しているからだと思う。
いいじゃないか、一匹狼で!気高く孤高に生きてみよう。
人生なんて、所詮ゲーム
あなたは今、何歳だろうか。10代?それとも社会人?
きっと永遠にこんな苦しい時間が続くと思っているかもしれない。もしもこの先、ずっと苦しい状況だったら・・・
でも断言してもいい。必ず終わりがくる。
年が変わり、クラスが変わり、学校が終わり、、、嫌でも環境の変化が起きる。
絶対だ。
当たり前だけど、周囲の人間が一生同じという状況はありえない。
そしていつかあなたも大人になる。
年齢的にも精神的にも。
今、周りとなじめないと言うのであれば、歩幅分だけ大人に近い存在なのかもしれない。
大人になれば、何ができるか。
何でもできる。
関わる人間も選べるし、住む場所も選べるし、着る服だって選べるし、食べたいものだって選べる。
「生き方」が選べる。
嘘だろ?って思ったかもね。
無理もない。あなたも親も周囲の人間も、電車で見かけるサラリーマンも、どこか諦めているようで「俺の人生こんなもんさ」ってオーラ出てるもんね。
たけど気付かない、ううん、気付かないフリをしているだけで、言い訳をしているだけで全部自由なのはみんな分かっているはず。
必ずしも望む結果にならずとも、進路方向は自分で決めて自分で進むことができるのに。
親が、先生が、友達が、上司が、会社が、社会が、子供が、みんな誰かのせいにして自分は不自由なんだって思っている。そうやって一生できない理由を探し回ってる。でもさ、
バカだろ!
お前の人生だろ?お前以外のだれがお前の人生の舵取りをするんだ!
ってわたしは言いたい。
重く受け止めないようにしよう。
何もうまくいかなくても、誰かに後ろ指刺されても、孤独に思えても、
まだ人生1回目だろ?
まだ人生を決めるほど生きていないだろ?
こう思えばいい「人生は所詮ゲーム」
泣いても笑ってもいつかは皆等しく死んでいく。例外はない。あなたもわたしもいつかはこの世からログアウトする。
だったらやるべきことはひとつだ。
悩んでないで行動しよう。やりたいことをやろう。好きなことをしよう。あなたを苦しめる場所から逃げてしまえ!
人生は所詮ゲーム。生きてさえいれば何とかなるさ。
最後に
ここまで読んでくれてありがとうございました。
すごく読みづらかったよね。ごめんなさい!
最後にやっぱり何が言いたいかと言うと、人生は短いから、嫌な事とか無理な事とかやってる時間はないということ。
そして、思っている以上に世界は狭いようで広いし、つまらないようで楽しいということ。
どう生きるか、どう感じるか、どんな道を選択するかは自分次第。
ゲームのように生きてみよう。
やりたいようにやってみよう。
人生は全部自分で選んでいける。
この先の未来がキラキラした道でありますように。
あなたに幸あれ!
まこるご
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